会員投稿  二つの思い 「だれの子どもも殺させない」                「愛する人を守りたい」  寺山光廣 記

国会の議論を聞いていると、野党側からの質問に対して安倍首相の答弁がかみ合っていない事にイライラしている人が多いだろうと思われます。かみ合っていないばかりでなく、質問の内容について答弁を拒否したり、時には質問する事自体をも非難することがあります。国民に直接選ばれた議員によって構成される「国権の最高機関」である国会より、「行政の長たる首相」の方が上位にあると錯覚しているように思われます。国会の機能を停止し、内閣に立法権を与える「緊急事態条項」を先取りした振る舞いと言えるでしょう。
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前回の投稿 6月25日の続きを書きます。

「だれの子どもも殺させない」という安保法制反対の思いと、「愛する人を守りたい」という安保法制推進の思いは、意外と近いのではないかと述べました。賛否両極から発せられたメッセージが、近いはずはないと思われる方が多いでしょう。状況の変化次第では、人の思いはこの両極の間を揺れ動くのではないかと感じています。思いだけではなく、両側の論理の展開ではどうなるでしょうか。


安保法制推進側は「殺し殺される戦争」を抑止するために、充分な軍事力が必要だと言います。現実に世界のあちらこちらで戦争が起きている状況の中で、多くの国、多くの国民がそのように考えています。集団的自衛権は国外での戦争を想定するものですので、純粋な抑止力論を超えるものですが、安保法制反対側にも、「新9条」論に見られるような憲法上の自衛力公認を求める人々もいます。ファシズムの軍事的侵攻に対し、レジスタンスやパルチザンは武器を取って抵抗しました。最初に立憲主義をとった国、アメリカ合衆国では、個人や州単位での武装が、抵抗権との関係で論議されているように思います。日本国憲法には抵抗権の規定はありませんので、国民が考え、議論しなければならないでしょう。


「愛する人を守りたい」から武装すると言うのは、軍人・兵隊側の思いです。守られる側から見ると、自分のために「愛する人」は戦って死ぬことになります。この矛盾は過去から続いて来た「男の論理」そのものかもしれません。安保法制反対側に女性が多いのも頷けます。日本国憲法第9条はぶっきらぼうと言えるほど簡単明快に「戦争放棄」を定めています。どうすれば「愛する人を守る」事が出来るのかを語っていません。その具体的な理念と方向性は「憲法前文」にあるのでしょう。前文の4つの段落のうち、3つは「日本国民は」で始まり、1つは「われらは」で始まります。主語は全て「国民」です。最初の2つの段落が「日本国は」「我が国は」で始まる自民党改憲草案前文とでは、立脚点も内容もまるで違います。憲法前文を比較検証し、我々はどのようにして人を守るのか、国際関係のなかでどう振る舞うのかが、9条の議論の具体的な内容になるのではないでしょうか。


一見、反対側に立つと見える人々の思いを認めて、それをどうすれば達成できるのか、良い結果を導けるのかという論理を作って行くことが、かみ合う言葉の関係を築くにいたる道ではないでしょうか。


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by karuizawa9 | 2016-02-28 08:53 | 会員投稿 | Comments(0)