会員投稿  軽井沢町塩沢に移築された「浄月庵」  寺山光廣 記

a0354024_08282029.jpg安倍首相はかねてから日本国憲法を「みっともない憲法」と卑しめてきました。戦後すぐに占領軍によって押し付けられたという点だけではなく、内容が「美しい日本」(強い日本)にふさわしくないと思っているようです。憲法の平和主義、9条の精神については、1946年1月24日、マッカーサーと会談した幣原喜重郎首相の方から提案されたと言われています。

 幣原喜重郎  以下、下線部分をクリックすると、当該サイトに移動します


敗戦から半年も経たないこの頃、日本側も占領軍も短期間に複雑な体制変革に取り組んでいましたので、憲法制定の経緯は丁寧な歴史発掘と解析を必要とします。押し付けられたからみっともないとか、日本側からの提案だったから良いと、単純に判断することは出来ません。新しい憲法が当時の国会で半年あまりの審議をへて、最終的には衆議院で圧倒的多数で議決されています。その間に、女性の参政権が認められた新しい選挙制度の下で、総選挙が行われ、国民の意思が国会に反影されるようになっています。制定後の国民の対応を見ても、ひじょうに高く支持された憲法の制定であったことは間違いなさそうです。嫌々押し付けられたものではありませんでした。

  国会図書館「日本国憲法の誕生」 


軽井沢町塩沢に移築された「浄月庵」をご存知と思います。町の観光案内などでは「有島武郎終焉の・・・」と紹介されています。作家が情死(心中自殺)した家が観光資源になるというのも、考えて見ればおかしな話です。憲法を考える人々の間では、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの両親が、戦争中に住んでいた家ということで注目されています。ウクライナ出身の世界的なピアニストだった父親レオ・シロタさんは、戦前東京音楽学校(現東京芸大)でピアノを教えていて、46年春まで多くの外国人とともに軽井沢に移住させられていました。その家が、当時は三笠にあった浄月庵だったことを、軽井沢を訪れたベアテさんが証言しています。

 軽井沢高原文庫 

ベアテさんは、新しい憲法の占領軍側草案に「男女平等」を盛り込んだことで知られています。当時22歳の通訳だった女性が、憲法草案の策定にかかわったこと自体が異例の抜擢だったでしょうが、その能力・知識・経験をふりかえると、これほどふさわしい人選は奇跡のようにも感じられます。

 2007年、ベアテさんの講演メモ 

 2008年5月8日 ベアテさんを囲むパネルディスカッション動画(10編連続)


憲法制定過程では、「男女平等」について日本側はとても嫌がっていたようです。平等意識は占領軍によって、しかもその中のたった一人の若い女性に「押し付けられた」「みっともない」ものなのでしょうか。ベアテさん自身は、その経緯が平等に逆行する勢力に利用されることを恐れて、自分の関わりを長い間伏せていました。今も平等に反する意識や制度と闘わなければならない状態は残っています。自民党改憲草案にも、家族観などに危険な意識の復活が意図されています。



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Commented by 桑原倫子 at 2016-03-25 22:11 x
「ベアテ・シロタ・ゴードンさんのご両親が、戦争中に住んでいた家」と目立つように看板つければいいですよね。提案してみます。
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by karuizawa9 | 2016-03-13 08:28 | 会員投稿 | Comments(1)