会員投稿  伊丹万作さんの言葉から考える「だまされる」ことについて          寺山光廣

a0354024_08254197.jpg昨日、軽井沢9条の会例会で「水島朝穂さんに学ぶ緊急事態条項」を担当しました。充分にこなれていない話になってしまい、夜間にもかかわらず、おいでいただいた皆様には申し訳なかったと思います。何とか時間をやりくりして、数十時間を事前学習にあてましたが、水島さんが数十年にわたって研究してきた内容をちょっと舐めてみたぐらいで消化できるわけもありません。会場で配ったテキストをもう一度読んでいただいた方が、ご理解いただけると思います。このサイトには、水島さんの過去の文章が「バックナンバー」に収蔵されていますので、憲法問題に関する必要なテーマを学ぶ材料としておすすめです。


このブログ3/22の記事「だまされる方も悪い」をなんどか、読み返しました。「まったくそのとおりだなあ」という同感と同時に、このように出発点に(ここでは憲法前文と9条)に戻って考え直してみようという気持ちに、私も数年に一度なります。毎日ではないところがいいかげんですね。東電原発事故の直後には、多くの人が「安全神話」にだまされていたことを、怒りとともに自省しました。ちょうど2年前に自分のブログで、「ほんとうにだまされたのですか?・・ 」と書きました。どうも、日本の社会はだまされていた方が楽に生きられます。


そこに取り上げた伊丹万作さんの文章 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html は敗戦1年後、亡くなる直前に書かれたものです。だまされることの構造と罪の内容について、今もその問いかけは生きていると思います。死を目前に感じながら、自分の過去を否定的に検証することはつらい作業でしょう。誰しも、いい人生だったと思いたいところです。


伊丹さんは戦争中の自分の「思い」を相対視しています。危機的な状況が進行する中で、自分の思いは正しく、まわりが間違った方向に進んでいると考えがちです。しかし、放射能の問題や安保法制の問題を、反対側にいる人たちと話して感じることですが、向こう側の人たちもそれぞれ自分の「思い」を正しいとし、だいじにしていることです。さまざまな「思い」を理解するためには、あらゆることに囚われない自由な想像力が必要です。そのさまざまな思いを、互いにぶつかり合うことなく開花させるための交通整理の術を探るために、たくさんの努力をついやして学ぶのではないでしょうか。


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Commented by 桑原倫子 at 2016-04-17 21:37 x
「不明を謝すとは、知識の不足をひとつの罪として捉える考え方で、批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体」言い得て妙ですね。私たちが直面している原発問題、憲法問題などはまさにそれですね。
Commented by 桑原倫子 at 2016-04-17 21:46 x
「水島朝穂さんに学ぶ緊急事態条項」は興味深いテーマです。
緊急事態条項の憲法規定は、権力の集中、手続きの省略、国民の諸権利の制限であり、これは立憲主義の存立を危うくします。立憲民主主義の国家は国民の多様な意見や政府と違う反対派の権利を認めるという考え方を非常事態においても貫かなくてはなりません。ところが、自民案は「外部からの武力攻撃」「大規模な自然災害」とならんで「内乱等による社会秩序の混乱」を緊急事態としてあげており、これは市民運動や労働運動などを制限する口実となり得ます。日本国憲法の緊急事態条項の不在は、帝国憲法にあった緊急事態条項の積極的な否定であり、国民の権利を制限する緊急事態条項がないことこそ、戦前の人権軽視の歴史への反省であることを忘れてはいけません。
Commented by 桑原倫子 at 2016-04-17 21:56 x
緊急事態条項を憲法に規定すべきでない理由をいくつか挙げてみます。
①現行憲法が緊急事態への対処について明文規定を持たないことの意味・意義を積極的に評価し、緊急事態を生じさせないよう努力すべきである。
② 緊急事態法制を国ごとに比較検討するとしても、各国の諸条件を念頭に置く必要がある。緊急事態条項の憲法規定を一律に肯定すべきではない。
③憲法に規定する必要はなく、法律で整備可能である。現行憲法の下でも、法律で、緊急事態に対処するために必要な措置を定めることはできる。
④平和憲法がなかったことから起きた戦時の悲惨な体験に鑑み、憲法を変えるべきではない。
Commented by karuizawa9 at 2016-04-18 08:59
桑原様、さっそくのコメントありがとうございます。学習会で一番のポイントと感じたことは、「原則と例外」についてです。普通は緊急事態と言われるような危機状況が自分の周辺で起きることを望んでいません。その一方で、それを具体的に想定することは必要ですし、どこか恐いもの見たさの心理もあって、映画や小説などのフィクションの世界で想像もします。どうやらA氏はその見境がない多少異常な精神の持ち主ではないかと思われます。
憲法は国のありようを示すものとして基本原則を述べていますが、現実に起こりうる例外的状況にどう対応するのか。例外的状況下では、基本的人権等の原則が一定の制限を受けることは、想定する必要があるでしょう。その場合にも、制限が必要最小限に限定されていることと、主権者によるコントロールが保たれること。そのために、ドイツでは憲法に国家緊急権を書き加える際に、並行してその限定とコントロールについて具体的詳細に規定する方向をとりました。一方、日本国憲法では、原則と例外を同じ憲法に併記することを避けて、憲法の保証する人権等を制限する緊急事態への対応は、憲法より効力の低い法制度で対応させることで、限定とコントロールする仕組みだと思います。
例外規定に原則と同等の効力を持たせると、原則を頓死させる事があるというのが歴史の教訓ですね。憲法のサドンデス条項になりかねません。他方、例外規定は憲法より下位の法律でという仕組みでは、「統治行為論」にみられるような司法権の弱さも問題になります。主権者である自覚、無知を恥じ、だまされる責任を自省する意識の高さが要求されるでしょう。
Commented by 桑原倫子 at 2016-04-18 23:25 x
例外的状況における国家緊急権の発動による立憲主義の危機は3つあります。一つ目は、憲法の枠を超えて独裁的な権力を行使する場合。「必要は法を知らず」です。つまり、総理大臣が必要があるから言って、憲法が権力を縛るという原理を無視する場合です。 二つ目は、立憲主義を停止して独裁的権力行使を行える条件を憲法で厳格に限定して書いておくことが権力の濫用に繋がる場合です。例えば、①非常事態の事項的限定―非常事態を宣言できる場合として、戦争、風水害、大地震、大火、伝染病の蔓延による危機的状況。② 地域的限定-非常事態宣言を施行すべき地域が一地方であるか、全国的であるか限定する。③ 人権制限の明示-非常事態の種類により、制限または停止されるべき基本的人権をはっきりさせる。④ 非常時体制の確立-非常事態がおきた場合は、国会開会中はただちにこれを国会にかけ、国会閉会中はただちに召集してこれをかける。そして国会は、非常事態宣言の承認、修正、不承認、撤廃などを議決する。⑤ 有効期間の限定―非常事態の有効期間を憲法であらかじめ限定しておく。そしてその期間の延長には国会の議決を必要とすることを明らかにする。
⑥ 国会尊重の明記-非常事態宣言中は国会は開会しつづけること。このように、憲法で厳格に決めておけば、総理大臣の独裁的な権利行使は、期間限定、内容限定なので、作っておいた方がよいと思う人がいるかもしれませんが、国家緊急権を憲法で厳格に限定すると、厳格過ぎて役に立たず、役に立たないがために、権力者が憲法の枠を無視して独裁政治に向かってしまう危険性が高くなると言われています。三つ目は、二つ目の弊害を避けるために、独裁的権力行使の条件を憲法に抽象的に書く場合です。これでは、憲法の縛りが名目的になって、国家緊急権を行使できる場面を限定できず、権力の濫用の危険が高まります。つまり、どのような条件下でも、いったん独裁的に権力を行使できるようになり、憲法の縛が無くなった場合、憲法を厳格に守る権力者はいないということです。さらに、国会の権限・国民の自由や権利が制限されれば、チェックすらできません。
Commented by 桑原倫子 at 2016-04-18 23:29 x
ちなみに、「憲法を踏み越える国家緊急権、そこに国家緊急権の本質があるともいえる」とおっしゃった佐藤幸治さんは、「緊急事態に直面しつつも立憲主義体制を維持」した国は、以下の条件が整っていたとしています。① 国家緊急権の目的は国民の自由と人権を守るためのものだという目的が明確である、② 非常措置の種類と程度は一時的で必要最小限でなければならないという自覚がある。③ 国民の側の認識として、濫用を阻止するため事後的に権力者の責任を追及する途を開いておくことが不可欠だ、という認識が国民の間に浸透している。
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by karuizawa9 | 2016-04-17 07:42 | 会員投稿 | Comments(6)