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a0354024_06000806.jpg「だれの子どもも殺させない」と「愛する人を守りたい」という、安保法制反対・賛成双方の「思い」について2度の投稿で考えてきました。今回の安保法制では「集団自衛権」が問題になりましたが、そもそも日本国憲法には「自衛権」という条項も言葉もありません。安倍政権は最近、解釈改憲から明文改憲へと踏み出す発言を繰り返していますが、現憲法下で自衛権はどのように考えられているのか、復習してみたいと思います。これまで長い間9条の会で活動されてきた皆様には、今さら新参者が何を?と思われるかもしれませんが、私自身の確認作業をお許し下さい。


国連憲章との関係はとりあえずおいて、憲法との関係について考えてみます。9条の条文はシンプルなもので、そこからだけでは、武力を持って自衛する権利があると解釈するのは困難です。武力による自衛権を合憲とする考えは、多くが「第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」を根拠にしているようです。もう一つの根拠として、憲法前文から「国民の平和的生存権」が挙げられています。


参考/防衛省「憲法と自衛権」 http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html


13条の文章には国民の権利を、立法・国政が最大の「尊重を必要とする」と抽象的に書かれているだけで、国民の権利を武力によって守れ、と書いてあるわけではありません。ここも解釈の余地が大きくあるところでしょう。少し長くなりますが、憲法の前文を掲載します。


 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


ここには「平和的生存権」について、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と書かれています。どうも、政府や防衛省の解釈はつまみ食いとこじつけの感じがします。ちょっと古いのですが、伊藤真さんの「けんぽう手習い塾」の中から、学んでみました。


第56回 「憲法の観点から考える自国の防衛」 http://www.magazine9.jp/article/juku/7157/

第57回 「武力による防衛(1)」 http://www.magazine9.jp/article/juku/7154/

第58回 「武力による防衛2(文民統制について) http://www.magazine9.jp/article/juku/7151/

(最近自衛隊制服組と呼ばれる側が、政権の意向を反影してか、文民統制をはずす危険な動きを強めています)


前回の投稿でも書きましたが、憲法の前文をしっかり読み込んで、理念とその実現のための具体的な努力の方向性を議論することが重要だと考えさせられました。


by karuizawa9 | 2016-03-06 08:17 | 会員投稿 | Comments(4)

国会の議論を聞いていると、野党側からの質問に対して安倍首相の答弁がかみ合っていない事にイライラしている人が多いだろうと思われます。かみ合っていないばかりでなく、質問の内容について答弁を拒否したり、時には質問する事自体をも非難することがあります。国民に直接選ばれた議員によって構成される「国権の最高機関」である国会より、「行政の長たる首相」の方が上位にあると錯覚しているように思われます。国会の機能を停止し、内閣に立法権を与える「緊急事態条項」を先取りした振る舞いと言えるでしょう。
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前回の投稿 6月25日の続きを書きます。

「だれの子どもも殺させない」という安保法制反対の思いと、「愛する人を守りたい」という安保法制推進の思いは、意外と近いのではないかと述べました。賛否両極から発せられたメッセージが、近いはずはないと思われる方が多いでしょう。状況の変化次第では、人の思いはこの両極の間を揺れ動くのではないかと感じています。思いだけではなく、両側の論理の展開ではどうなるでしょうか。


安保法制推進側は「殺し殺される戦争」を抑止するために、充分な軍事力が必要だと言います。現実に世界のあちらこちらで戦争が起きている状況の中で、多くの国、多くの国民がそのように考えています。集団的自衛権は国外での戦争を想定するものですので、純粋な抑止力論を超えるものですが、安保法制反対側にも、「新9条」論に見られるような憲法上の自衛力公認を求める人々もいます。ファシズムの軍事的侵攻に対し、レジスタンスやパルチザンは武器を取って抵抗しました。最初に立憲主義をとった国、アメリカ合衆国では、個人や州単位での武装が、抵抗権との関係で論議されているように思います。日本国憲法には抵抗権の規定はありませんので、国民が考え、議論しなければならないでしょう。


「愛する人を守りたい」から武装すると言うのは、軍人・兵隊側の思いです。守られる側から見ると、自分のために「愛する人」は戦って死ぬことになります。この矛盾は過去から続いて来た「男の論理」そのものかもしれません。安保法制反対側に女性が多いのも頷けます。日本国憲法第9条はぶっきらぼうと言えるほど簡単明快に「戦争放棄」を定めています。どうすれば「愛する人を守る」事が出来るのかを語っていません。その具体的な理念と方向性は「憲法前文」にあるのでしょう。前文の4つの段落のうち、3つは「日本国民は」で始まり、1つは「われらは」で始まります。主語は全て「国民」です。最初の2つの段落が「日本国は」「我が国は」で始まる自民党改憲草案前文とでは、立脚点も内容もまるで違います。憲法前文を比較検証し、我々はどのようにして人を守るのか、国際関係のなかでどう振る舞うのかが、9条の議論の具体的な内容になるのではないでしょうか。


一見、反対側に立つと見える人々の思いを認めて、それをどうすれば達成できるのか、良い結果を導けるのかという論理を作って行くことが、かみ合う言葉の関係を築くにいたる道ではないでしょうか。


by karuizawa9 | 2016-02-28 08:53 | 会員投稿 | Comments(0)